瞑想とストレスマネジメント

マハリシ総合教育研究所のコース紹介

― モザンビークの奇跡 −
トビアス・ダイ中将 元モザンビーク共和国軍司令官からの報告

「モザンビークは、過去16年にわたった戦争期間の後、1992年10月、ローマで一般和平協定に調印しました。人命と物的財産の面での損害は非常に大きく、わが国はきわめて不安定な状況に陥りました。」

「一般和平協定の調印後、わが国での総選挙の実現までには、まだ長い道のりがありました。一般和平協定の有効な実施の不確かさ、選挙まで平和が続く可能性への疑いが、和平協定の調印後にモザンビーク国民の心に初めて芽生えた幸福に影を落としていました。今後、国連組織を派遣するという提案も、世界の多くの国々で示されたように、平和維持を保証するものではありませんでした。」

「そうした時期に、私たちは、マハリシ・ヴェーダ大学の代表者と接触し、彼らのテクノロジーとその効果について詳細な説明を受けました。・・・提示されたテクノロジーが真剣かつ批判的に検討された後、モザンビーク軍の統合参謀本部は、そのテクノロジーの軍隊での実施の可能性について分析・研究する任務を託されました。」

「この提案に対する徹底的な評価が完了した後、統合参謀本部は、国内にマハリシ効果を生みだすことを目標に、超越瞑想とヨーガのフライングを含むTMシディプログラムをモザンビーク軍で実施する決断を下しました。それを試すか、それとも無視するかは、決断の問題でした。この決断はモザンビークに国連軍が到着する前に行われました。」

「こうして、陸軍、海軍、空軍を含めた国内のさまざまな部隊で超越瞑想を指導する大規模な仕事が始まりました。1993年にはマプート、ソファラ、マニカ、ザンベジ、ナンプーラ、ニアッサ、カボ・デルガドで約15,000人、1994年には1,000人以上が指導を受けました。また、内務省に属する警察学校でもこのプログラムが開始されました。全部で3,000人以上がTMシディプログラムの訓練を受けました。・・・」

「プログラムが始まる前から、マハリシ効果の結果は予想されていました。マハリシ効果が生みだすコヒーレンス(同調)の影響で、平和が維持され、犯罪指標に改善が現れ、自動車事故件数が減少し、前例のないほど経済が上向くといった予想が私たちに示されました。・・・」

「マプートで何千人もの人々が指導を受けたとき、1993年の第一・四半期の犯罪指標が20パーセント減少しました。この減少率はまったく異常なことでした。なぜなら、戦争終結後に犯罪が増加すると予想されていたからです。同じことがケリマネ市(20パーセント減少)とマニカ州でも起こりました。そして、軍隊の移動や軍隊の解散のためにグループによる実践が停止すると、犯罪指標は再び増加しました。1993年に、国内の自動車台数が約3〜4倍に増加し、国内の自動車の普及率が劇的に増加しました。また、28年ぶりに国中の道路を自由に旅行できるようになりました。にもかかわらず、自動車事故による死者数は前年とほぼ同程度にとどまり、1992年の死者数を下回りました。1993年の経済成長率の予想は6パーセントでしたが、実際には19パーセントの伸びを示して完全に予想を上回りました。・・・」

「非常にはっきりしているのは、いったん肯定的な影響が生みだされた後で、グループ実践をやめると、犯罪指標や国内の緊張状態から判断されるように、以前の傾向がまた現れて集合的なストレスが高まりはじめるということです。1994年に、超越瞑想とTMシディプログラムのグループ実践の参加者が減少した結果、国内のコヒーレンスが著しく減少しました。参加者が減少したのは、プログラムを実践する部隊が解散したり、プログラムを履修科目に組み込んだ警察学校の課程が予定どおり終了したためです。・・・」

「これまで、多くの困難がありながら、二年間にわたり平和を維持することができ、また自由で公正な選挙が実施されました。これは世界で唯一成功した国連派遣団活動です。」

「私たちは結論として、超越瞑想とヨーガのフライングを含むTMシディプログラムをモザンビークの軍隊で実施したことは、その努力に見合うだけの価値があり、その結果は期待を裏切らなかった、と言うことができます。・・・」

モザンビークでTMシディプログラムのヨーガのフライングを大人数で実践したグループは、ダイ中将が演説で言及したように、1994年にその参加人数がかなり減少しましたが、規模を縮小したヨーガのフライングのグループが、国内にコヒーレンスの影響を生みだし続けています。

モザンビークで起こった独特な変化に対する分析

上述したモザンビークでの変化は、似通った条件をもつ国アンゴラと比較すると、同時期の展開において著しい対照を見せています。この比較から、モザンビークが体験し続けている進歩は、この地域における一般的な現象ではないことが明らかです。
アンゴラとモザンビークはかつてポルトガルの植民地であり、両国とも1970年代と1980年代には長く厳しい内戦に苦しみました。1990年代初に、両国は、国連が実質的に監視した和平協定に調印しました(アンゴラでの和平協定は1991年5月から1992年10月まで保たれましたが、その後協定は決裂し、再発した内戦は1994年11月の新たな協定まで続きました)。
和平協定と国連軍の駐留にもかかわらず、暴力と無秩序はアンゴラの深刻な問題であり続けています。たとえば、1997年の激しい戦闘は1994年の和平協定を脅かし、一方でアンゴラの経済は混乱を続けています。
一方、モザンビークは、1992年10月の協定の後すぐに、マハリシの防衛のためのプログラムを実施しました。その結果、モザンビークにおける暴力と無秩序は劇的に減少し、同時に、国家経済は回復し始め、それ以来ずっと堅調な経済成長を示しています。現在、モザンビークは、アフリカにおいて激しい内戦からの復興に成功した国家の模範と見なされています。

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